●今日活字になった短歌
● 赤い字で記入してくださいねつて赤いボールペン渡される
日経歌壇、穂村弘選。
この歌、ふつうに短歌をつくるひとにも、短歌にまったく興味のないひとにも、届きにくい歌だよな、と思いながら、投稿したのですよ。まさかこれが載るとは思わなかったので、驚いた。
● 赤い字で記入してくださいねつて赤いボールペン渡される
日経歌壇、穂村弘選。
この歌、ふつうに短歌をつくるひとにも、短歌にまったく興味のないひとにも、届きにくい歌だよな、と思いながら、投稿したのですよ。まさかこれが載るとは思わなかったので、驚いた。
『間奏曲』糸永知子・河野泰子・寒野紗也・山本照子(六花書林) について
『土地の歌う声』
十年もの長きにわたり、手書きのノートを交換している人たちがいた。なんという乙女チックで贅沢な時間の使い方なのだろう。本書は、この羨ましい関係を構築してきた四人の女性による合同歌集である。それぞれの短歌百首と、エッセイ一篇が収録されている。
糸永知子の秩父盆地を舞台とした自然詠。河野泰子の不思議な身体感覚の歌。寒野紗也のふくらみのある回想詠。山本照子の静かでありながら凛とした歌いぶり。一人ひとりの世界に誘いこまれながら、読み進んでゆくのが楽しい歌集である。
また「地域性を出してそれぞれの百首をまとめる」(山本のエッセイより)というコンセプトが、本書を厚みのあるものにしている点も見逃せない。
例えば、四人はそれぞれの歌の中で「草をぬく/ぬかない女」として姿を現す。その時、作者の身体を通して、それぞれの土地の声が聞こえてくるのだ。
水無月のあとからあとから生える草わかりましたと言いてやらんよ (糸永知子)
草の根をちからまかせに引き抜けば蟻の巣ムザンぐざぐざである (河野泰子)
祈るものをもたざるものの祈りなり露おく土に草を引きつつ (山本照子)
屋上にどこまで伸びるゴーヤの葉グリーンシャワーをあした降らすも (寒野紗也)
糸永作品は、雑草への語りかけが穏和であり、余裕が感じられる。雑草がどれほど繁茂しようと、この作者はそれを受け止め、たんたんと草をむしってゆくのだろう。
対照的なのが河野作品。作者は雑草と真っ向から対決する。蟻の巣ばかりでなく、作者の心が、ムザンぐさぐさなのではないかと、こちらが不安になるほどだ。 埼玉から徳島へ移住したという河野には、生活環境の激変に際し、強い苛立ちがあったのかもしれない。
山本作品。ここでは「草を引く」という日常的で身体的な行為が、「祈り」という精神的なものへ還元されてゆく構造が美しい。「露おく土」が、読者に生々しく迫ってくる分、この歌の祈りは静謐である。
ひるがえって寒野作品では、抜かれる雑草は描かれず、そのかわり、ぐんぐん伸びるゴーヤが、寿ぐべき緑として、明るく歌われている。都市生活者の緑に対する希求が素直に伝わってくる歌だと思う。
以下、印象に残った歌を一首ずつひく。
おおよその行事はわが身過ぎゆきぬ運動会か花火がきこゆ (糸永知子)
根つからの方向音痴わたくしは眦(まなじり)すうつとさよならを言ふ (河野泰子)
しらしらと草の穂の飛ぶ昼さがり足踏みミシンの音がするなり (寒野紗也)
足袋ぬぎし踵に触れる春の砂をさびしと思うわが命はも (山本照子)
歌集タイトルの『間奏曲』とは、劇や歌劇の幕間に演奏される音楽のこと。すでに長い歌歴のある四人に、ふさわしい命名である。
●「方舟さくら丸」阿部公房(新潮文庫)
●「人生、成り行き −談志一代記−」立川談志・吉川潮(新潮文庫)
●「ひとりの夜は短歌とあそぼう」沢田康彦・東直子・穂村弘(角川文庫)
●「東京骨灰紀行」小沢信男(筑摩書房)
●「さらば雑司ヶ谷」樋口毅宏(新潮文庫)
●「箱男」阿部公房(新潮文庫)
●「きのこ文学大全」飯田耕太郎(平凡社新書)
●「和本への招待」橋口侯之介(角川選書)
●「斎藤茂吉」品田悦一(ミネルヴァ書房)
●「反悲劇」倉橋由美子(講談社学芸文庫)
●「残念な日々」ディミトリ・フェルフルスト(新潮クレスト・ブックス)
●「名歌集探訪—時代を啓く一冊 」栗木京子(塔21世紀叢書/ながらみ書房)
こう見ると、外国文学が少ないなぁ。
阿部公房は、新潮文庫で読める作品は、全部読んでいこうと思っています。
全然古くなくて、むしろ新しい。
今まで読まずにいて、もったいなかったともいえるし、
これからたくさん読めてしあわせ、ともいえる。
MRIとられたり、勉強会のコーディネートしたり、批評会の受付のお手伝いをしたり、ゴールデンウイーク進行でひぃひぃいったりしているうちに、四月が終わってしまいそうだ。ぽんぽんぺいん。
●寝室にひもがいつぽん垂れてゐた寝るときにひく昭和の紐が
●声は霧 もはやどうでもいいことがただよふばかりもうすぐ終はり
●雀の子蹴散らしにゆく仔犬ゐて空は飛べずに空を見上げる
●それほどの違ひがあるとは思はぬが茶色いはうの砂糖を選ぶ
●会社にも席替へあれど教科書を見せてくださる友人はをらず
●ものはみな軽く小さく改良をされてこんなにかるいたましひ
●公衆のための電話を撤去してゆくのは神か影が見えない
●誰ひとりこぼれおちない前提の長い長い長いエスカレーター
●雨上がりふとふりかへり見るひかりひとりのひとと結婚はする
●誉められて伸びるタイプと言ひたげな蜜柑を食べる平成の夜
●独身のをとこともだち全員が息子に見える初老期の朝
日経歌壇。穂村弘選。
最近のマイブームは初老期なので、このテーマで一首できてよかった。こいしたい、より、こしいたい、に、一票なのです。
大学時代の友人からは
けさの日経の短歌、いいね。ドキッとさせられ、ニヤッととさせられ、確かに、と共感させられました。
刺激的な日曜の朝をありがとう!
というメールが届きました。
●こんな感じ
「文學界」4月号から、穂村弘さんの新連載「も詩も詩」スタート。「幻聴妄想かるた」(医学書院より発売中)と与謝野晶子の短歌について。
同じく穂村弘さんの連載25回目「現代短歌ノート」は、「群像」4月号。齋藤芳生さん @chicayoshi、大滝和子さん、 虫武一俊さん @mushitake などの短歌がひかれています。
純文学系文芸誌に、似たような感じの連載をふたつ同時に持った穂村弘さん。穂村さんはエッセイストという肩書き(と実績)を持つことで、一般のひとに通じる回路を獲得したんだろうな。
でもそれが、ほんとうに「一般のひと」なのかどうかは疑問。文芸誌を毎月毎月読んでいる人って、いったい何人ぐらいいるんだろう。(東京ドームはいっぱいにできますか?)
先日、笹井宏之さんの短歌作品がのっている「佐賀新聞」を読んだときにも、そこに書かれていた笹井さんの歌集の販売部数に結構衝撃を受けたのだった。
「えー、それだけの人にしか(まだ)届いてないのっ?」という意味で。(東京の大きな書店の詩歌コーナーには笹井さんの本が複数冊ならんでいるから、もっと届いている、という印象があった。)
(東京の大型書店を基準にして本の流通を考えることが、偏っているのは承知の上。いま、歌集に限らず、本の販売部数が減っていることも承知の上。書店の詩歌コーナーには、あまり人が立ち入らないことも承知の上。)
本好きで、小説からノンフィクションまで、さまざまなジャンルを読んでいるニックヨックさんに、たまに歌集を「読んでみる?」と貸すのだけれど、ニックヨックさんを「短歌を読む人の側」にひきずりこむことができない。
(それほど大量に貸し出したわけではないけれど、ニックヨックさんにヒットしたのは、杉﨑恒夫さんの『パン屋のパンセ』(六花書林)ぐらいかなぁ。俳句では、池田澄子さんがヒットしました。)
「短歌を読む人」って、「短歌に呼ばれている人」という気がする。だから、短歌を読んでいるうちに、短歌を作るひとになってしまって、その結果、短歌作者ニアリーイコール短歌読者、という構造になってしまうんだろう。
で。2月のみなとみらい歌会で「いい歌ですね」と話題になった、沼尻つた子さんの短歌。
よこたわる汝の胸しずかでたいらかでふれればみえなくなる水鏡(沼尻つた子/「歌壇」2月号歌壇賞次席「温度差の秋」より)
ちょろ玉さん @chorodama が、「この歌を鑑賞して、いい歌だという人は、結社に入っている人が多かったですね。どういうふうに読めばいいんでしょうね」と、雑談タイムに話していたのが印象に残る。
つまり、「短歌の読み方」というのは、歌会などを通じて、積み重ねていくことができるものってこと? では、「短歌をつくる」ほうは?
枡野浩一さんは、先日の「夜のクリエイター大学」で、「じょうずな人は最初からじょうず。そうでないひとは、なかなかうまくならない。」的な発言をしておられた。(ニュアンスがちょっと違うかもしれない。)
「短歌をつくる」ほうは、どうなんでしょうね。歌会では「うまい歌だけれど、心にぐっとくるものがない」と評されるようなこともあって、「うまい歌」イコール「いい歌」ではなかったりもする。
でも、歌会を通じて、ちょっとした作歌のコツ、のようなものは、確実に伝授していただいている実感はある。
『ひとりの夜は短歌とあそぼう』沢田康彦・東直子・穂村弘(角川文庫)で、取り上げられている猫又の同人のひとたちの短歌は、うぉぉぉぉ、という勢いがあるものが多くて、ああ、こういう短歌を作りたいな、と思うのだった。
話が少し脱線するけれど、結社の先輩に、「短歌の世界は、物々交換なのですよ」と言われたことがあって、なるほどなぁ、と思ったことがある。大事な宝物を、その大切さをわかってくれる人に贈呈し、かわりに他者の宝物を受け取るのだ。
それは、歌集、という単位でもあるし、一首、という単位でもありうるだろう。
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twitterアカウントは、mymhnd です。
追記しておくと、笹井さんの歌集の販売部数は、歌集としてはとても大きな数字です。
●烏賊墨のリゾットゆふべ食べたこと思ひ出すまで死病かと思ふ
●駅からは二分と書いてある場所にたどりつけないわたしが嫌ひ
●ひとりぶんできた薬をあげませういつまでたつても死ねない薬
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3月号の締切は、去年の12月15日。
年末進行まっただなかで、3首しか出せなかったのだなぁ。
3首目は、朝日カルチャーセンターの短歌講座「穂村弘の歌会」に提出した
<恐怖>のテーマ詠作品を改稿したもの。
●朝はまだ静止してゐる観覧車いのちが乗れば動き始める
日経歌壇。穂村弘選。
人間を「いのち」に置き換えたことで一首が暗示性を帯びた。
穂村さんの評が、ありがたくもおそろしいのは、歌の製造工程を、かなりの精度で見破られてしまうところ。金曜日のイベントでも、見破られた感満載の評をいただきました。ナマ猫又、面白かったなあ。
●「パノラマニア十蘭」久生十蘭(河出文庫)
●「老いの歌」小高賢(岩波新書)
●「仏果を得ず」三浦しをん(双葉文庫)
●「もたない男」中崎タツヤ(飛鳥新社)
●「女子をこじらせて」雨宮まみ(ポッド出版)
●「せどり男爵数奇譚」梶山季之(ちくま文庫)
●「開かせていただき光栄です」皆川博子(早川書房)
●「アンドロギュノスの裔」渡辺温 (創元推理文庫)
●「猛女とよばれた淑女―祖母・齋藤輝子の生き方」斎藤由香(新潮文庫)
●「ダンスと空想」(新装版)田辺聖子(文春文庫)
●「第2図書係補佐」又吉直樹(幻冬舎文庫)
●「ことば汁」小池昌代(中公文庫)
●「呪いの時代」内田樹(新潮社)
●「ギンギラ落語ボーイ」三遊亭白鳥(論創社)
●「楡家の人びと(上)(下)」北杜夫(新潮文庫)
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三浦しをんさんが、「仕事小説」を書くのは、実際には会社員として働いたことがないからだそうな。(先日の岸本佐知子さんとのトークイベントでおっしゃっていた。)
『仏果を得ず』は、文楽の太夫を職業とした、青年の成長譚。
文楽を一度も見たことがない人にも、文楽の魅力が伝わる小説だと思う。
『もたない男』は、もちすぎる女であるわたしにとって、衝撃的な一冊。
『もてない男』ではなく、モノをもたない男の話。実話です。
『ダンスと空想』は、元祖女子会小説。
神戸にポートピアができるちょっと前のおはなし。
語り手が、「仕事して税金をはらっている」ってことに、
きっぱりとしたプライドをもっているのが、しみじみしみる。
『ギンギラ落語ボーイ』、女性ファッションの描き方が、すっぱり欠落しているよっ!
これも青年の成長譚。白鳥師匠の顔を思い浮かべながら読んだのでした。
●果実/口実
●うずくまりますか哀しくなるときにわたしはいつもひとりでしたか
●ゆつくりと殺されてゆくひとたちとけふもおいしくごはんを食べる
●からうじてわたくしはまだここにゐる夜は南瓜を煮るためにある
●剥くうちに果肉人肉まじりだすこの洋梨は半額でした
●ひとびとは横浜駅を経由して会社あるいは戦場へゆく
●悪口を喋りおはつて音量がさがりましたね隣の客の
●どうしてもさみしいひとを好きになるとちのき通り西交差点
●ふみこまずふみこませずに生きてきて一人暮らしは桃の缶詰
●「気をつけて」とこのおばあちゃんは言つてゐる赤毛のこどもが電車を降りる
●わたしには消えてなくなるものだけを贈りたまへよをんなともだち
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ここ数日、なんだか花粉みたいなものが、飛んでいるような気がしないでもない。
昨日は、こまばアゴラ劇場で、ロロという劇団の芝居を見た。テーマは、ボーイミーツガール。なかみは、おぢさんなのに、がーるず割引してもらう。なんだかすみません。
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